「ほっ」と。キャンペーン

さよならマニス

あの可愛かったマニスが逝ってしまった。11歳と4か月、幸せな生涯であったことを願うばかりだ。ありがとうマニス。拾い食いばかりする駄犬だったけど、僕ら夫婦には最高の犬だった。
最後の数ヶ月は、カミサンが一所懸命面倒をみた。マニスの思い出を残すために、そのカミサンのメモを以下転載します。

突然のご報告に何故?と思われた方も多いと思うので、私自身のマニスとの思い出の記録のためにも
マニスの最後の様子を書き残しておきたいと思います。
2012年7月に膀胱炎のような症状が見られたので、獣医に行き投薬治療が始まりました。症状が改善せず、数種類の薬を試しましたが、膣のあたりからの少量のおりものは治まりませんでした。それでも血液検査などの結果は良好だったし、全身麻酔をしないと診られない場所ということで、暫く様子を見ることになりました。
2013年3月に歯のクリーニングをすることになり、犬の場合全身麻酔で行うので、その際に膣口を開いて中を診てもらうことになりました。結果、中には葡萄状の腫瘍ができており、一部採取して細胞診に出したところ、移行性上皮癌という診断でした。切り取ることのできない場所で、放射線治療しかないのですが、犬の場合放射線治療は毎回全身麻酔で負担が大きく、副作用もあるため、積極的治療はしないことに決めました。腫瘍部分は出血し易い状態だったので、止血剤、感染症予防の抗生剤を服用させることになりました。その時はショックでしたが、進行の遅い癌のようで、その後もマニスはすこぶる元気に過ごしていました。ちょうど車を購入したばかりだったので、元気なうちにと、大井海浜公園へ散歩に行ったり、東北、千葉などたくさん旅行にも行きました。秋くらいからおりものの量が目に見えて増え、腫瘍が尿道に近いため、おしっこをする度に違和感があるのでしょう、残尿感がひどく、散歩に出ると何度も何度も、おしっこをするようになりました。それでも血液検査の結果はすこぶる良好で、転移も見られませんでした。その段階では将来腫瘍が大きくなって尿道を塞いて尿が出なくなるかもしれないので、注意して見るように獣医に言われました。そんなことになったら、こんなに食欲もあって、元気なのに、おしっこが出ないだけで安楽死させる日が来てしまうのかと心が重くなりました。11月9日はマニスの11歳の誕生日でした。ちょうど土曜日だったので、最後のお誕生日になるかもしれないと、千葉にあるお気に入りのペットOKのペンションに行き、ペンションの方に誕生日プレゼントまで頂き、楽しく過ごしました。年末くらいから便が柔らかくなり、今度は残便感(しぶり腹というのでしょうか?)がひどくなり、下痢止めの薬を服用しても改善しませんでした。2014年が明けて1月16日に獣医が肛門触診をしたところ、腸骨下リンパ節が腫れて腸を圧迫していることがわかりました。恐らくリンパに転移しているとのことで、レントゲンでは肺に影があり、そちらも転移が疑われるとのことでした。それからは散歩に行くと頻尿に加えて頻便状態になり可哀想でした。散歩だけでなく、トイレに連れ出す回数も増え、それと共に気候は段々と寒くなり、今年は雪も多くて、夜の寒風吹きすさぶ中で寒さに震えながら何度も一生懸命力んでいる姿は本当に可哀想で、家に戻ってコタツで温めてやりました。エサも癌犬用の高級缶詰に替えたのですが食べたのは数回で、味が嫌いだったらしく、今まで食いしん坊でエサの音を聞くとハウスから飛び出して来たマニスが「ごはん」と聞いてもハウスから出て来なくなってしまいました。これは一大事、食べなくなったらおしまいです。そこで今まで食べていた普通のエサに戻しました。その辺りから朝は食欲がなく、鶏のささ身を入れたりしてどうにか食べさせる感じになり、家ではほとんどの時間をハウスの中に引きこもるようになりました。気候もどんどん寒くなり、寒さが苦手なマニスには厳しい日々でした。この頃主人はほとんど出張で通算35日間も留守だったので、いない間にどうにかなったらどうしようかと不安な日々で、毎日メールでマニスの状況を報告していました。でもマニスは本当に飼い主孝行で、ちゃんと主人の出張が終わるまで頑張りました。2月中旬に主人が戻ってからは精神的に落ち着いたのか、少し元気を取り戻し、このままだったら桜も見られるかなと思えるほど元気に過ごしていました。ところが2月末から出血量が増え、ひな祭りの頃から食欲が減退し、3月7日には朝のエサは全く食べなくなりました。インターネットで手作りエサを調べ、野菜とささ身を煮たものを作ったところ、午後には完食してくれたので、これからは手作りエサで頑張ろうと思っていたのですが、翌朝にはそれも食べなくなり、腫瘍が圧迫しているせいか、おしっこも外に行くまで我慢ができなくて玄関で粗相するようになりました。マニスは外でしか排泄をしない犬なので、その都度連れ出していたのですが、寒さのせいか、排尿時の痛みのせいか、家に戻っても震えるようになりました。8日に獣医に痛みを取る方法を尋ねましたが、マニスの場合患部が舐められる場所にあるため、痛み止めのパッチをつけることができないし、後はモルヒネになりますと言われました。獣医には以前に「犬は話せないので食べない、散歩も行きたくないというのは、生きる意志が無くなったと思いましょう。」と言われていましたし、主人ともその時には安楽死させようと話していたので、その日が近いことを知りました。何よりマニスが苦しまないこと、それが一番大事。マニスのQuality of Lifeを最優先しモルヒネは使わないことにして、最後の2日間はヨーグルトや赤身の牛肉など、今までは健康に悪いと与えなかったものも与えました。元気な時だったらペろっとたいらげたであろうご馳走もその力はなく、それでもちょっと食べてくれました。私に気を遣ったのかな?何匹もの犬を看取ったとこのある友人に最後は猫缶のモンプチがいいと勧められたので与えてみると、あら不思議、本当に食べてくれました。先輩のアドバイスは貴重です。9日には主人とペット霊園の下見に行きました。ちょうど隣の駅に良い霊園があり、そこにお願いすることにしました。Xデーがいつになるのか、現実味を帯びてきたそんな話を泣きながらしました。9日の午後は久しぶりにとても暖かく、主人とマニスと30分お散歩に行き、マニスも元気に歩いて、この調子ならもう少し一緒にいられると思ったのですが、翌10日は酷く風が強くて寒い日でした。朝から何も食べません。午後になったら少しは気分が良くなるかと期待したのですが、散歩も行きたくないし、震える回数が増え、大好きだったおやつを噛むのも苦労している様子で、食べ終わった後にまた震え出しました。物を食べると苦しいんだな。決断の時だと思いました。すぐに主人に連絡して、会社が終わったら一緒に獣医に行くことを決めました。これ以上苦痛を長引かせるわけにはいきません。獣医に夜6時半に行くことを伝え、それからはマニスを膝に乗せて、どんなにマニスを愛しているか、どんなにマニスに感謝しているか、ずっと話しながら優しく撫で続けました。マニスは落ち着いた様子で私の声をBGMに休んでいました。主人が帰ってからは最後の1時間を3人で静かに過ごしました。ヨーグルトを与えると喜んで私の指から舐めてくれました。この瞬間のマニスはいつも通りのかわいく、つぶらな瞳で決意が鈍りました。でも獣医に行く前に庭で排泄をする様子をみて、やっぱりもうだめだと思いました。いつも使っていたタオルにくるんで車で病院に行き、最後に抱きしめて「すぐに迎えに来るからね」と言って、マニスが好きだった優しい看護師さんに託しました。マニスはきょとんとしていました。外で待つこと20分くらいでしょうか、処置が終わり対面したマニスはまだ温かくて眠っているようでした。でももう私が知っているマニスの姿ではありませんでした。主人と「ありがとう。ここまでよく頑張ったね。苦いお薬をたくさん飲まされて辛かったね。」と話しかけました。家に連れて帰り、棺の中に大室山で3人で撮った笑顔の写真と、大好きだったグリーニー(おやつ)を入れました。夕飯はマニスのすぐそばで主人と思い出話をしながら時々泣きながら食べました。まだぬくもりが残るマニスの身体をいっぱい撫ででやりました。その晩は棺を寝室に持ち込み、一緒の部屋で寝ました。一緒にベッドで寝るのが大好きで、朝方主人のベッドに潜り込んで短い時間ですが、主人の腕枕で幸せそうにしていたのに、最後の数か月は出血があったので、ベッドに乗せてあげられなくて、可哀想でした。翌朝主人はマニスにお別れの言葉を残して会社に行きました。私は夕方霊園の方が引取りに来てくれるまで冷たく硬くなってしまった身体を撫でたり、話しかけたりしていました。午後には母と姉がかわいいお花と、マニスが好きだったイチゴを持ってお別れに来てくれました。二人に優しい言葉をかけてもらい、いっぱい撫ででもらい、マニスは幸せだったことでしょう。3人でマニスをお花で飾りました。最後にマニスのトレードマークだった大きな耳元で「また一緒に遊ぼうね。」と言っておでこにキスをして、霊園の方にお渡ししました。マニスの肉体は私の手元を離れて行ってしまいました。
マニスには感謝の言葉しかありません。たくさんの楽しい時間、楽しい思い出、ちっちゃいマニスがくれた抱えきれないほどの愛を大切にしていきます。我が家に来て10年半、思っていたよりちょっと短かったけど、マニスは自然に帰りました。マニスを可愛がってくださった皆様、本当にありがとうございました。マニスは人が大好きで、皆さんが遊びに来てくれるのが嬉しくて、マニスも皆さんとのたくさんの思い出を抱いて虹の橋にいると思います。サンディエゴで犬を飼おうかと思った時に、偶然知り合いからアニマルシェルターの話を聞き、軽い気持ちで週末に訪ねたら、小さい犬が主人のハートを鷲掴みにして、気づいたら我が家の飼い犬になっていました。ご縁ですね。マニスと知り合って、レスキュー団体から犬を3匹もアダプトしてくれた友人がいます。マニスは3匹の犬の命を救ったんだよ。そんなマニスを誇りに思うよ。一匹でも多くの捨て犬が温かい家庭に引き取られることを願わずにいられません。マニスとの楽しい生活は終わってしまったけど、私たちはこれからも夫婦仲良く楽しく暮らして行くことをマニスに誓います。だから心配しないで、虹の橋で待っててね。また一緒に暮らそうね。
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# by gomanis | 2014-03-15 10:05 |

2011年11月20日 豚の角煮、大根と浅蜊の鍋

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日本に帰って3カ月。たまーにであるが、料理をするようになった。ゴルフでいうと120叩いているぐらいの腕前だが、ゴルフの初心者と同じで、それでも楽しい。早く100を切れるように場数を踏もう。

今回は、豚の角煮。先週はラフティだったので似たような料理だが、僕にとっては意味がある。同じ番手で練習を続けるようなものなのだ。忘れないように記録を軽くつけておこう。

材料:豚バラ角煮用肉ブロック x4、計400g弱、ニンジン・長ネギ 香りつけほど。
調味料:
砂糖 大匙2
みりん大匙1
酒 大匙1
醤油 大匙2
味噌 大匙1/2
ニンニク 1カケ
生姜 1/3

まずは肉に塩・胡椒をして焼く。反省その1。焼く時間が短かった。焼き色がつくまでやるべきだった。次に、生姜を2かけとニンニクをひと1カケ入れて2時間ことこと茹でる。ラフティーは泡盛で茹でたが、角煮は水。匂いが軽くて料理するほうは、この方が楽。灰汁を取りながらと思ったが、それほど出なかった。でも脂はがんがん出る。

一旦肉を取り出し、茹で汁は捨てる。鍋も洗い、なぜかすっきりした気分。ここからが楽しい時間だ。上記調味料を、醤油1/2匙除き、全て投入し、たっぷりの水でさらに2時間弱火で煮る。茹で汁が蒸発し、肉塊の肩が出てしまうのでときどき肉の位置を変えてやる。この段階で肉は早くもぐずぐず崩れやすくなっているので、箸でなくトングを使うのは前回ラフティで覚えたこと。

あと1時間になったところで茹で卵を準備。沸騰したお湯で10分。上げて剥いておく。卵の色が変わっていくのを想像するのはわくわくする。Cook Padのレシピでは完成10分前に鍋に入れることになっているが、僕は、十分に味、色が付いてほしいので、待ち切れず17分前に投入。
反省その2。卵は、もっともっと前に投入して良い。次は30分煮てみよう。
残り15分で最後の醤油1/2匙を投入。これはラフティのレシピからの応用。醤油は、案外煮詰まって濃い味になるのだそうだ。

完成!卵をトングで取りだし、縦に二つに切って肉と一緒に盛り付ける。嬉しい。

角煮完成間近にはもう一つ作業が。鍋の用意だ。これは、僕が長いこと読み続けているメルマガ「断腸亭日記」の池波正太郎レシピから。江戸趣味だ。大根を千六本に切り、浅蜊のむき身と出汁で煮て食べるというもの。材料は、大根半分、浅蜊のむき身2パック。以上。大根を切るのが下手くそなので時間がかかるが、至って簡単な料理。浅蜊は、ざるにあけて軽く洗って水を切り、酒を振り掛ける。

いよいよ食べる。労作、豚の角煮は、美味かった。肉は期待通りとろとろになり味が染みている。しかし、反省その3。甘い。なぜだろう?ラフティの時は大匙2でちょうど良かったのに。砂糖の量も同じ。みりんの有りなしの差か。いずれにしてもこれが、今回の最大の学び。次回は、醤油を倍にしよう。

大根と浅蜊の鍋は、粋で美味かった。だし汁を、手を抜いてアゴ出汁にしたが、鰹節でちゃんと出汁を取ったらもっと美味かったのかもしれない。まぁ、よしとしよう。大量の大根と浅蜊を3回に分けて鍋に入れ、軽く完食。これは、いい。またやろう。
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# by GoManis | 2011-11-22 20:22 | 我が家の食卓

2011年8月18日 猛暑に涼あり

a0064654_852323.jpgこの艶やかな朱色の茗荷がテーブルに運ばれた時には、思わず、わぁ!と歓声が出た。もろみ味噌を乗せて口に運ぶと鮮烈な香味が広がる。まさにニッポンの夏という感じだ。湯葉豆腐、水茄子、夏の味覚が食卓を飾る。

新橋の蕎麦居酒屋、本陣房である。ウェブで適当に探した店だったが大正解。だいたい、新橋が好きだ。ちゃらちゃらしたところがなく、落ち着いている。僕が同化しやすい。つまり僕もそういう新橋が似合うオヤジになったということだ。さほど大きくない店内を見渡せば、ほとんどがオヤジだ。大勢で騒ぐ野暮はおらず、皆、2-3人で来て、旬のものをつまみながら談笑している。微笑ましい宵の風景だ。

穴子の素焼き、鴨焙りと少し強いものに移る。穴子は、本わさびをちょいと乗せて。うまい。
それにしても昼間は暑かった。猛暑とは聞いていたがその中に身を置いてみると本当に辛い。一歩一歩、足を前に進めるたびにじっとりと汗がにじみ出る。首の後ろから背中にかけてべとっとして気持ち悪い。
しかし、この気候のなか、たくさんの人が働いている。それで社会がちゃんと機能している。大したものだ。その働いていたオジサンたちが(オバサンもだけど)、酒を飲んで一日の疲れを癒している。僕らは、その人たちを眺めながら、日本の社会に同化する過程にいる自分を感じる。

〆にそば。カミサンは二色盛、僕はせいろ大盛。二色盛というのは、極太の田舎そばとのコンビネーション。僕のは、普通の蕎麦の3段重ね。汁に少し浸けて勢いよくすすりこむ。旨い。

夏だ。日本だ。

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# by GoManis | 2011-08-19 08:53

2011年8月18日 どんな感じで暮そかな?

a0064654_15304577.jpg9年ぶりで日本に帰ってきた。猛暑の中、家探しも終わり、仮宿から街を眺めながら、今回 はどんな感じで暮そうか考える日々だ。

いくつか決めたことがある。まず、料理を趣味にしようと思う。大昔、インドネシアにいたこ ろまでは、特に週末など、カミサンと一緒に厨房に立ったものだったが、その後、とんとご 無沙汰していた。ここ数年ずっと読んでいるメルマガがあり、東京に戻るようなことがあっ たら、自分でもいろいろ旬の素材でつまみを作るのも悪くないかなと思っていた。

それから、今まで以上に走ろうと思う。メキシコではセキュリティー上の理由で外を走れ ないのが一番のフラストレーションだった。東京の街は、信号が多くて走りづらいが、空気 がきれいだ。今度の家は北品川。御殿山の緑の中を走るのはきっと気持ちいいに違いな い。

健康に暮らすという意味では、会社までは、歩いて通おうと思っている。前回の東京では、しょっちゅう二日酔いになり、結構な頻度でカミサンに車で送ってもらっていた。今回は、車は買わないことにしたので、そんな甘えは通じない。ほどほどに飲み、すっきりした頭で会社まで歩くのだ。とは言え、ここ数日実際に歩いてみると、この酷暑の中では苦行だ。もう少し気候が良くなるまではバスとの併用で乗り切ろう。

もちろん、旨いもの探索とゴルフは続ける。これがなければ僕の生活ではない。
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# by GoManis | 2011-08-18 15:31

2011年5月21日 メトロノームと中部銀次郎

最近、1,2,3というリズムに凝っている。もちろん、ゴルフの話だ。出張者が買ってきてくれたDVDのレッスンビデオにあったのだが、すべての番手をイチ、ニ、サン!という同じリズムで振るといいというのだ。この2週間ぐらいやってみているが、なかなか即効性があるように思える。皆さんにお勧めしたい。

1(イチ)がバックスイングの始動の合図。ここでクラブをソールして少し腰を落としても良い。2(ニ)で一気にトップまで持っていき、3(サン!)でインパクトを迎える。

この方法の画期的なのは、2と3が等時間であることだ。周りのゴルファーを観察していると、ほとんどの人は、2が3の1.5倍から2倍ぐらい遅い。そしてこのゆっくりしたテークバックの間によけいなことを考えたり、不必要にクラブをこねくり回したりしているように見受けられる。何よりイケナイのは、ダウンスイングのスピードが一定でなくなることだ。それは、3のダウンスイングのスピードがテークバックのスピード(テンポ)とリンクしていないからに違いない。
一方、1,2,3の方法では、ダウンスイングのスピードは、常にテークバックのスピードと一緒だから、テークバックのスピードを決めることでダウンスイングのスピードも制御できる。

しかもそのスピードは、メトロノームという簡単な道具で身につけられるので、アマチュアでも再現性を高めることが可能だ。レッスンビデオによると、女性で60-70拍、男性は70-80拍ぐらいが良いとしている。プロは、85以上らしい。メトロノームは、スマートフォンで簡単にダウンロードできるから、ラウンド前に自分のテンポを調整し、確認するのも容易だ。

ビデオに撮ってあった、僕の以前のスイングを計ってみたら65-67ぐらいとかなり遅いスイングだった。それでドライバーの距離は220Yぐらい。試しに70で振ってみたら一気に240Yぐらいに伸びた。それは、そうだろう。距離は、ヘッドスピードの二乗に比例するはずだから。

そうなのだ。これは、この方法の副産物に過ぎないが、飛距離を伸ばしたい人は、1,2,3のテンポを70、75、80と上げていく練習をすればよい。ヘッドスピードが40m/sの人が44m/sにしようとしても計測方法が難しいけど、メトロノームのカチ、カチ、カチのリズムに合わせるなら簡単でしょ?

ただ、実際にこの方法でスイングすると、かなり慌ただしい感じがすることに気がつくだろう。僕は、70でも気ぜわしい感じがする。“2”が時間不足で、今までのトップまで行かないうちにダウンスイングに移らなくてはならないのだ。しかし、結果は、そんな浅いトップでも十分に距離が出るから心配することはない。逆に今まで通りの深いトップを作ろうとすると、2が“ニ”でなく“ニー”と間延びし、3との等時間という鉄則が崩れてしまう。だから、慌ただしくてもなんとかマネージできるぐらいのテンポが現実的には適正な限界と考えるべきだ。これは、たぶん筋力が制約条件になっていて、プロとアマチュア、男性と女性の差を生み出しているように思う。85などでは、とても振れるものではないのだ。

話が横道にそれた。ヘッドスピードを速くするのがこの方法の目的ではない。最も大きな効用は、ティーショットからパッティングまで同じテンポでスイングすることにより、振り急ぎによるダフリ、トップその他もろもろのミスを除去することにある。決めたテンポでスイングすれば必ず良い球が出るという自信が、意識をスイングテンポに集中させ、それがまた好結果につながるという循環を作っていく。

たとえば、アプローチ。僕の場合、サンドウェッジの9時3時のスイング幅で70拍/分でスイングすれば40ヤード飛ぶことがわかっている。僕がスイング時にやることは、2で9時まで持って行くことだけを決め、イチ、ニ、サン!と口に出し、このテンポを再現することだけなのだ。
本当にほかのことは、何も考えない。コックがどうだとか、インパクト時にはグリップがハンドファーストを再現していなくてはならないとか、以前、頭の中を占領していたことを一切考えずに済む。言葉を換えると、考える余裕がない。

悩み続けているパッティングもそうだ。パッティングの場合は、フィニッシュの位置を決めておくことが必要だが(これは、ラウンド前の練習で距離によるフィニッシュの位置を把握しておくこと)、構えたら、やはりイチ、ニ、サン!と口に出し、このテンポを再現することに集中する。
これで、Scottsdaleでは28パット、29パットで回ることができた。久々の快挙。

話は変わって、なんとカミサンが中部銀次郎を読み始めたよ!ラウンド中もしょっちゅう中部銀次郎の言葉を引用するほど気に入ったようだ。カミサンは、技術書などは嫌いで一切読まないが、心の持ちようなどに焦点を当てた中部本はしっくり来たようだ。いずれにしてもゴルフ関連の本を読むののは、彼女のゴルフ歴の中で初めてのこと。最近は、練習もよくするようになったし、もろ手を挙げて歓迎したい。Viva Golf!!

Scottsdaleでは僕のExperiaを貸してあげ、65拍が良いようだとアドバイスすると、ずーっとそれで練習していた。ラウンド中は、勿論、イチ、ニ、サン!である。

夫婦そろってイチ、ニ、サン!で中部銀次郎だ。うちってよっぽど○○?
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# by gomanis | 2011-05-24 05:56 | ゴルフ

2011年5月21日 Scottsdale

a0064654_20515694.jpg先月に続いてアメリカでゴルフ。今回は、Scottsdale2泊3ラウンドの小旅行。Scottsdaleを選んだのは、直行便があることと、2004年に最初の爆裂で訪れた思い出深い場所だったので、ちょっと懐古趣味もあった。そのときにTPC Scottsdaleのプロショップで作ったネームタグは、今だにキャディーバッグにぶら下がっている。

そんなわけで最初のラウンドは、まさにTPC Scottsdale Stadium。2004年に来たときには、97(46, 51)だったが、今回は、86(41, 45)。この7年で11打縮めた。11打しか縮まっていないというべきか。

灼熱ゴルフを覚悟して行ったが、拍子抜けするほど涼しく、とても快適にプレーできた。地元の人によると、前週は90度を上回る暑さだったとか。カミサンは、自分が晴れ女だから快適な気候になったと胸を張る。

a0064654_20522014.jpg2日めと3日目は、Troon NorthのPinnacleとMonumentという岩山コース。2004年に回ったSunridge Canyon、Estrella Mountain Ranchに似て、砂漠の中の岩山に張り付けるように芝生を植えて作ったゴルフ場。ごろごろとした巨岩が積み重なってできた山、イグアナ、サボテン、目にしみる紺碧の空。まさにアリゾナのコースはこうでなくちゃ、という条件をすべて兼ね備えている。ここでクラブを振り回し、白球と戯れる喜びに胸がいっぱいになる。

とはいえ、スコアは今一。92と89。ペナルティーがそれぞれ3個と2個あった。僕の1ラウンドの平均ペナルティーは、0.6程度だから、かなり悪かった。それだけトリッキーでサディスティックなコースだったということでもある。久々にそういうコースを回ってそれはそれで堪能した。

夫婦そろって健康でゴルフができる。それは、当り前のようでいて、実は、とても得難いことなのだ、とこの頃ふと思う。以前と違うのは、ラウンドを終えるともう一杯一杯で、他のことをする元気はなく、晩御飯の途中からもう眠くてたまらなくなることだ。ぐっすり眠れて気持ちいいけどね。

最終日、3時半にラウンド終了。ゴルフ場で慌ただしく着替え、レンタカーを返し、夕刻のフライトでメキシコへ戻る。深夜1時に帰宅。3時間後にはもう一度家を出て、サンフランシスコ経由で日本出張。へろへろだが、なんとかなるものだ。まだまだ行けるかな?
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# by gomanis | 2011-05-23 20:52 | 未分類

2011年5月2日 入るパット、入らないパット

ゴルフは、結局のところ、パットだ。ほかのショットの技量が今とそう変わらなくても、もしもフェアウェーキープが4ホール改善し、パートライ(5歩以内のパーパット)の成功率が70%まで向上したら、結構な確率で70台が出るようになるだろうと思う。ドライバーによるティーショットは、一番複雑なものだから後日に譲ることにして、今日は、パットの悩みを書きたい。

入るパットの条件は、単純で、正しい転がりと正しいラインに乗ること、の2点しかない。

過去1年近く、僕は、再現性の良い転がりを得るためにいろいろ苦心した結果、オープンスタンスでボールを送りだすスタイルに到達した。オープンスタンスで構えると、左側(カップ側)の視界が開け、良い転がりが出やすいことが確かめられたからだ。手首もやわらかく使うことにした。しばらくは、これで32パット前後で安定し、まぁ、良いか、と思っていた。ところが、最近、カップの右にそれることがめっきり多くなった。知らず知らず、ボールをこするように打ち、極端に言うとスライス回転がかかるようになっていたのだ。50センチほどの短いパーパットが右にそれて行くのを見るたびに虫唾が走り、自分に嫌気がさした。

これでは、いかん。ゴルフが楽しくない。

それで一か月前ほどから、カミサンの勧めもあり、オールスクエアのアドレスに戻してみた。足は、ハの字、左右対称に開き、手首はロックし、アドレス時のフェースの向きが変わらないようにした。転がりよりライン優先ということですね。

すると、その後3ラウンドのパットが、31, 29, 28。何と劇的な改善ではないか。

ところが、である。その直後のPinehurstでは、2日めが38パット、4日目は39パット。一挙に自信を失ってしまった。4日目などはパートライ12回のうち入ったのはわずか1回だけだ。もういい加減いやになった。紳士のゴルフを目指しているはずであったが、恥ずかしながら何回かグリーン上にパターを落とした。

何が悪いのか?オールスクエアが問題なのか?

いや、そんなことはない。プロは、ほとんどの選手が、スクエアにアドレスしている。今一番パットが上手いと言われるTiger Woodsだってそうだし、そのTigerが、彼のパッティングはシンプルでいいね、と褒めたと言われる石川遼もスクエアだ。そのスクエアなスタンスからすっと引いてすっと打つ。ボールはまっすぐに転がり、コトンとカップに吸い込まれる。

それに比べ、僕のパットは、弱々しくカップの前で止まったり、依然右にそれたりする。右を嫌がって左に引っ掛けたりもする。右にそれるというのは、長い間オープンアドレスでやってきたせいで、右肩が前に出るのが癖になっているようだ。アドレスに入った瞬間はスクエアなのだろうが、構えている間に無意識のうちに右肩が出ているのだと思う。入らないパットがいくつか出ると、スクエアに立てているのかどうかさえ、わからなくなってくる。

Youtubeの、あるレッスンビデオによれば、アドレス時、肩は、目よりも後ろにあるので、確認するのは難しい。肩をスクエアにしたかったら胸を平行にすることを意識しろ、とあった。胸は視界に入りやすいので、確認が容易だと。藁をもつかむ思いでこれを実践してみたが、先週は37パット。12回のパートライで入ったのはたったの4回。

スクエアに立ってまっすぐ力強い球を打ちたい。やはりこのスタンスで練習し続けるしかないのだろうな。ぶつぶつ言いながらこの稿終了。
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# by gomanis | 2011-05-03 19:23

2011年4月22日 Pinehurstの熱狂

a0064654_4224034.jpgゴルフ旅行をすると、しばらくの間、ほわっとした充実感に包まれる。ゴルフ酔いとでも言うのだろうか。

ノースカロライナのPinehurstでカミサンと4ラウンドたっぷり楽しんできた。ここは、なんと8つものコースを有する東海岸屈指のゴルフリゾート。PGAのメジャー大会はじめ、数々のトーナメントも開催されている。
コースによって特徴があるのだが、#1,3,5が易しいリゾートコース、#2,4,6,7,8が競技ゴルフ用のChampion Courseと便宜的に色分けされているが、そう単純ではないようだ。

a0064654_422668.jpga0064654_4223186.jpg最初の2日は、#4, #8を回った。両方とも松の木に囲まれた林間コース。バンカーが多いという触れ込みだが、気をつければそんなに入れることはない。難しかったのは、グリーンとグリーン周り。お椀を伏せたような形状で、簡単に右に左に、または、奥に手前にとこぼれてしまう。こぼれたアプローチをピンそばに寄せて止めるのは容易ではない。また、アンジュレーションもきつく、グリーンに乗っても安心できなかった。初日が87(33パット)、2日目は92(38パット)も叩いてしまった。距離は短く(白ティー)、フェアウェーも広いので、ここで良いスコアを出そうと思ったら、ピッチ&ランのキャリーと転がりの比率を正確に把握しておくことだ。つつじが咲き乱れる綺麗なパー3があり、記念撮影。

3日目が、今回のツアーの目玉、#2コース。Donald Ross(有名らしい)設計の、全米トップ10に入る著名コースだ。99年と05年にはUS Openが開かれている。99年のUS Openを制したのは、最終ホール15フィートの難しいパーパットを沈めたペイン・スチュアートだ。彼は、この栄光のメジャー制覇のわずか4ヶ月後に若くして飛行機事故で亡くなったことから、悲劇の英雄となった。18番ホールのグリーン脇には、Winning puttを沈めガッツポーズを取る彼の銅像が建てられていて、皆、そこで記念写真を撮っている。僕のようにペインと同じポーズを取るお調子者はあまり見かけなかった。

ゴルフの話。#2は、Donald Ross設計の後、時を経てブッシュが生い茂り、だいぶ当初の様相と変わっていたらしい。そこで、今年3月に、当初の風貌を再現するよう、大改造が行われた。具体的には、ブッシュを刈り取り、砂の裸土をむき出しにしたのだ。この大改造の感想をお聞かせくださいというポスターが貼ってあったが、僕の感想は、簡単にしすぎたんじゃない?というものだ。この日は、せっかくだからと、カミサンと相談し、キャディーをつけたこともあり、ゴルフってこんな易しかったっけ?というぐらい調子が良かった。ドライバーはまっすぐ飛ぶ、アイアンは正確に狙った距離通り、パットもぽこぽこ入る、で81(31パット)。18番ホールの2打目(キャディーいわく、ペイン・スチュアートの最終日2打目もこの辺でした)が、バンカーに飛び込まず、パーが取れていれば夢の79だった。まぁ、ショットは確かに良かったのだが、これがブッシュがある光景だったらプレッシャーであんなに上手く打てなかったろう。また、何度かWasting Area(前述の砂地)へ行ってしまったが、下は固く、さして苦もなくボールが打てた。せっかくなら改造前のサディスティックな#2でプレーしたかったなー。

a0064654_423198.jpg最終日は、易しい(グリーンフィーも安い)#5コース。短くて簡単。ところが、この日は、パットの調子を崩し39パット。90叩いてしまった。この話は、次回にするとして、今振り返ってみると、実はここが一番美しかった。#2,4,8が殺伐とした荒野を切り拓いて作った感じなのに対し、#5は、田園の真ん中に作りましたという箱庭的安堵感があるのだ。適度なアップダウン、濃い緑色。至るところに配置される小さな池とコテージ風の別荘。あいにく天気が悪く、小雨交じりの鉛色の空だったが、晴れた日だったらさぞや美しい景色が見られただろうと思う。東海岸ならではの緑が映える公園のようなコースだった。

a0064654_4225191.jpgPinehurstには、ゴルファーを酔わせる何かが棲んでいる。それは、1895年からの歴史であり、名士たち(今では死語であろうが)が守り続けてきた伝統の凄みであり、ペイン・スチュアートの魂のようなものであり、それに熱狂したファンの地響きのような歓声のこだまである。それらが、ホテルや、クラブハウスの至るところに写真で誇示されている。白黒のもの多い。正装した紳士淑女がゴルフに興じている。黒人のキャディー小屋の写真もある。ペイン・スチュアートがガッツポーズをしている。グーセンがトロフィーにキスしている。タイガーがパットをはずしてうなだれている。人々が興奮している。この雰囲気を感じられるだけでも、下手くそだけれどもゴルファーの端くれで良かった。人生の幸運だ。
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# by gomanis | 2011-04-23 04:18 | ゴルフ

2011年3月15日 頑張れニッポン

まさに国難だ。

金曜日の朝、いつものようにアパートのジムで走り始め、何気なくテレビのチャンネルを変えたら、Japonが大変なことになっているとの報道。映画のように家や車が流されていく映像に慄然として慌てて部屋に戻る。まだ寝ていたカミサンを”仙台が大地震だ”と起こし、兄に連絡を取ろうと試みたが電話が全然通じない。

昼間は、会社でもUstreamでTBSを流しっ放しにしてなんとか情報収集に努めるが、なかなか欲しい情報はやっていない。Facebook、Twitterでも情報を求めるが、収穫なし。夜になって、やっとカミサンがNTTの伝言サイトで、兄による一家無事のメッセージを見つけてほっと胸をなで下ろした。そのあと、姪からもメールの返信があり、やっと様子がわかった。

同じことが、海外のいろいろなところで、いや、海外のみならず日本国内でも繰り広げられたことだろう。こちらの同僚の1人は、岩手県の大槌町という、今回壊滅的打撃を受けた海岸沿いのところの出身で、ご家族の無事がわかったのは月曜の朝だった。これを書いているのは火曜日の夕方だが、この時点でも消息不明の人が1万人以上いるという。家族の胸中は察するにあまりある。

津波に呑み込まれた人の恐怖は、想像もつかない。濁流が町を根こそぎ流してしまう様は現実のものとは思えなかった。なんという不運、理不尽な人生の終わり方。これ以上の表現は思いつかない。

他方、励まされたのが、それこそ史上最悪と言われた災害のの渦中にあった日本人の振る舞いだ。
コンビニで、床に散らばった食べ物を黙々と拾い、ちゃんとお金を払って出て行く人、帰宅難民のために夜中まで一所懸命電車を走らせ続けた駅員とその駅員に感謝の声をかける乗客、徒歩で帰宅を余儀なくされた人のために沿道で自宅のトイレを提供し続けた住民、こうした美談がネット上にあふれ、読むたびに目頭が熱くなった。こうした事象を目撃した外国人からの賞賛を受け、誇らしい気持ちになったのは僕だけではないだろう。

政治がだめだ、国際競争力がない、子供の学力が落ちてきた、GDPで中国に抜かれたと自虐的であら捜しばかりしているマスメディアに嫌気がさしていたが、どっこい一般国民は立派な品格を保っているではないか。そして、ネットという、マスメディアを介さない場で、お互いの行為を褒め称え、自信を取り戻しているのだ。
海外で暮らす者にとって、これはとても喜ばしい現象だった。

次は、原発だ。これも、持てる英知を総動員して是非危機を乗り越えて欲しい。東北地方の罹災者も、救助に当たる人も、原発で危機回避のために必死の努力を続ける人も、みんな頑張れ。頑張れニッポン。
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# by gomanis | 2011-03-16 09:49 | 一般

2011年1月29日30日 Ventanas de San Miguel de Allende

a0064654_23204077.jpg会社の月例コンペは、50回記念大会ということでちょっと遠出をしてSan Miguel de Alendeへ。車で3時間ほどのところにあるこのこじんまりとした芸術の町は、メキシコ屈指の観光都市のひとつだが、僕(ら)の目的は、ただひとつ、ゴルフ。観光は、前に来たときにしたからね。

Ventanas de San Miguel de Allendeは、郊外、と言っても小さい町なので車で15分ぐらいのところにある。開業して1年半とまだ日が浅い。設計監修はNick Faldo。これが、ここを選んだ理由の1つ。メキシコでは、ゴルフはメジャーなスポーツではないので、地方都市のゴルフ場は、え?というぐらいシャビーだったりする。限られた情報でちゃんとしたゴルフ場を選ぶのは難しいのだ。

土曜日、日曜日と連荘でラウンドしたが、やってみると、なかなか良いゴルフコースだった。各ホール特徴があって面白いし、メンテナンスも良い。グリーンなどはLa Haciendaより速いぐらいスムーズだ。そして適度な起伏もある。何より素晴らしいのは、ホールによっては、San Migule de Allendeの街が眺望できることだ。白球を追うのをしばし忘れて街を振り返れば、真っ青な空の下に広がる黄色と赤の上品な町並み、教会や大聖堂の尖塔。あー、メキシコっていい国だな、ゴルフって楽しいな、この時間が永遠に続けばいいのに、と思うことしきりだった。

さて、このコース、他方、結構難しい。砂漠に芝生を植えて造成したらしいが、建造費に限りがあったのだろう。フェアウェーをはずすとラフはとても狭い。その外はもう乾いた裸土で、ボールはあっという間にOB杭を越えてころがっていく。また、ラフも原生している茨のような植物のブッシュがところどころにあり、アンプレにも泣かされた。そして、長い。パー70で6,600ヤードである。ロングホールなど629ヤード。とてもパーオンなどできない。

と、いろいろ言い訳したが、初日が94、2日目が88。ちょっと自信を挫かれた感じだ。でも、楽しかったからまぁいいか。ちなみに栄えあるコンペの優勝は、Naちゃんでした。ネット57!というぶっちぎりでした。おめでとう!カミサンは、初日は振るわなかったが、2日目は87と雪辱を果たした。よかったね。

a0064654_2316464.jpg観光はしなかったと書いたが、夜の喧騒は楽しんだ。中でもふと見つけたバーのフラメンコギターは、鳥肌もの。ロシア人だということだが、指が10本ぐらいあるのではないかと思われるような華麗な弦のタッチ、一本のギターで、時にはすすり泣くように、時には激情を爆発させるように奏でる表現力は、ものすごいの一言に尽きた。一緒に行ったNさんも同じギタリストとして大満足だった模様。
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# by gomanis | 2011-02-05 23:21 | ゴルフ