2006年12月 リオデジャネイロそしてアマゾンへ!ブラジル旅行記その3

遅ればせながらブラジル旅行の続きを駆け足で。

a0064654_16165824.jpga0064654_16171027.jpg何を隠そう、僕は、その昔、地理少年だった。父親が買ってくれた、大判の日本地図帳と世界地図帳が大のお気に入りで、毎日のように、それらを眺めて悦に入っていた。巻末に資料編があり、そこには、世界の主な都市の人口とか、湖の面積や川の長さなどが載っていた。僕は、地図を見るのも好きだったが、資料編にも大いに魅せられた。リオデジャネイロは、その時に覚えた都市だ。確か、南米ではサンパウロが1番人口が多く400万余り、2番目がリオで300万強、3番目がブエノスアイレスだったように記憶している。アマゾンは、長さもさることながら、流域面積がやたら大きかったことを憶えている。ジャングルを、太い支流が、いくつもいくつも走っているのだろうと想像して、わくわくしたものだ。

そのリオとアマゾンを訪れることができたのだ。ウン十年前の想像していた世界をこの目で見られる。興奮しないわけがない。

a0064654_16174068.jpga0064654_16175214.jpgリオは、3大美港のひとつに数えられる風光明媚な都会だ。近年では、政治では、ブラジリアに、経済ではサンパウロにその中心の地位を譲ってしまったが、依然として、放送・出版・文化などの中心であるらしい。人の気質も、サンパウロよりもずっと人なつこく、陽気であるという。カーニバルで踊り狂うのもそういう気質の一部なのかもしれない。

12月のリオは、夏の真っ盛り。空は、青く澄み渡り、空気はむせ返らんばかりに熱かった。有名なキリスト像の丘に登る。映画などでよく見る、あの、丘の上でキリストが大きく腕を広げている像である。飛行機で、背面から撮る絵柄が多いように記憶している。驚くべきことに、この丘(というには険しく、高い。山と言うべきか)に、1880年には、もう鉄道が敷かれたということだ。電化されたのもかなり早かったらしい。急な勾配を蒸気機関車が登っていった図を想像するのは、楽しい。頂上のキリストは、驚くほど柔和な顔をしていた。リオの旧市街のほうを向いて両手を広げている。街を、そして人々を守っているのだそうだ。眼下にはリオの街並み、そして青い海、絶景だ。もう一つの観光名所、Sugar Loafにも登る。a0064654_1618302.jpgここは、海に突き出したように聳える岩山。斜面は、直角に近いような絶壁だ。ここにも、なんと20世紀初頭にケーブルカーを敷設した人が居たのだ。いったい、技術も機械も今よりずっと遅れていた何十年も前に、どうやって作ったのだろう。まずは重い資材を担いであの断崖絶壁を登らなければならなかったのだろうと考えると、その情熱に脱帽せざるを得ない。それよりも、あそこにケーブルを渡そうと思ったその発想の自由さ、勇敢さに敬服を覚えた。

リオのもうひとつの名所は、海岸。コパカバーナ、イパネマ、と二つ有名な海岸が続いている。コパカバーナは、ボサノバの発祥地とも言われている。で、もっとも有名なボサノバの曲と言えば『イパネマの娘』だろう。惜しむらくは、リオは治安がとても悪いとのことで、カメラを持って海岸には行けなかった。コパカバーナと言えば、紐のような超ビキニを着た女性がこれ見よがしに闊歩しているイメージがあった。奥様方の間で話題になった、ブラジル人は皆巨乳である、という仮説の真偽のほどを、写真を撮って証明申し上げようとしたのだが、そういうわけで検証ならなかった。

夕食の後は、イパネマの海岸からほど近いところにある、バーへ。ここは、ボサノバの生演奏が聴けるライブハウスのような場所なのだ。なぎら健壱のようなおっちゃんがギター一本で奏でるボサノバには、心底痺れた。ボサノバは、甘く、どこか退廃的な気配のする旋律が特徴だが、あの気配を漂わせるには、とてつもないギターのテクニックが要るようだ。なぎら謙壱、凄腕の持ち主でした。a0064654_16191781.jpg
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次回、最終回、アマゾン編へと続く。
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by gomanis | 2007-01-12 16:24 | 一般


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