カテゴリ:一般( 28 )

2009年4月5日(日)~4月12日(日)ガラパゴス旅行 1.動物編1

Semana Santaの休暇を利用してガラパゴスへ行って来た。動物を眺めてわーいわーいという旅行かと思ったら、動物を観察するということは、いろいろと想念を喚起するもので、それらも交えて3回ぐらいに分けて書こう。今日は、素直に写真を中心に動物編。

アシカ。そこら中にいる。入島の玄関口となったバルトラ空港の波止場からすでにいる。日陰を求めて3,4頭、横になっている。島へ行けば、砂浜、岩場を問わず目にすることができるし、サンクリストバル島のタウンなど、まるで野良猫のようにそこら中に寝そべっている。バス停のベンチ、道路わきの岩場、係留中の船の上など、所構わずいるという印象。そういうわけで、希少価値はないのだが、ガラパゴスの動物の中では明らかに賢そうで、動作も変化に富み、愛くるしい。子供のアシカが母親の乳に吸い付く様など、本当に微笑ましい。陸ではだらんとして精彩を欠くが、一旦海に入れば、まるで別の生き物のようにきびきびと泳ぐ。

a0064654_982552.jpga0064654_9921.jpg
a0064654_9113842.jpga0064654_9115727.jpg

ウミイグアナ。これもアシカほどではないが、そこら中にいる。恐竜のような顔は、まさに想像していたガラパゴスの動物だ。体躯は案外小さく、大きいもので70センチ、小さいものだと30センチぐらいからいるようだ。全身黒く、なんというのか頭陀袋のような生地で全身覆われている。ところどころ傷ついて剥げていたりして、その下にも同様の”生地”の皮膚が見えており、思わずぴりぴり引っ張ってみたくなる。動きは鈍い。群れを成していることが多く、バルトロメ島の溶岩でできた岩場など、100匹ぐらいまとめていたのではないか。無骨で不気味な顔だが、カップルと思われる番(つがい)もいて、彼らなりに社会があるのだと思った。世界中で唯一水に潜るイグアナだという。是非、海中で泳いでいるところを見たかったものだ。
a0064654_9153783.jpga0064654_9155965.jpg
a0064654_918431.jpga0064654_919038.jpg


ペリカン。岩場でよく見かけた。ゆったりと飛翔し、海に急降下、魚を捕食するのだが、ガイドの話によると失敗することも多いのだという。風貌通り、不器用なのかな。
a0064654_9195632.jpga0064654_926857.jpg
a0064654_9265240.jpg


ガラパゴスアメリカグンカンドリ。大きな赤い風船が特徴の海鳥。黒い斑のある大きな赤い風船は、オスがメスを誘うために咽喉を膨らませているのだという。メスは、無色で地味だ。メスの買い手市場だそうで、気に入った風船を選ぶ。オスは、一羽のメスを得るために熾烈な競争を繰り広げる。
この鳥、海鳥とはいうものの、身体が十分な脂を分泌できず、海には入れないという変った宿命を持つ。翼が水に濡れると飛び上がれなくなってて死んでしまうのだそうだ。それでいて餌は魚のみという、悲しい鳥だ。どうやって捕食するかというと、前述のペリカンのような鳥が勢いよくダイブして失敗したときに空中に舞い上がる魚を盗って食べるのだそうだ。生きるということは、大変だ。
a0064654_9272920.jpga0064654_92812100.jpg
a0064654_9283167.jpga0064654_9285667.jpg


ガラパゴスペンギン。これは希少。バルトロメ島の岩場で2羽見たのみ。動きはとてもすばやい。背中が黒く、お腹は白いのだが、海のボートにいる我々からは見つけにくい。外敵から身を守るために、常に背中を外に向けて目立たないようにしているためだ。これも、海中を自由に高速で泳ぐ姿をみたかったものだ。
a0064654_9291817.jpga0064654_9293296.jpg
[PR]
by gomanis | 2009-04-13 03:41 | 一般

2009年1月31日~2月2日ホリデイはアカプルコ

a0064654_0343960.jpga0064654_20301991.jpgもう帰って来てからも頭の中ではこの曲が鳴り続けている。アカプルコ。なんとも魅惑的な響きではないか。昔からなんとなく耳に覚えのある地名だったが、サンディエゴに赴任するまでは、メキシコにあるとは知らなかった。更に、メキシコに赴任するまでは、太平洋側の南のほうにあるということを認識していなかった。

行ってみると、素晴らしいではないか。第一級のゴルフ場、巨大ホテル、洗練されたレストラン。僕の好きなものが全部そろっている。人によってはカンクンが表のリゾートになって、アカプルコはちょっと寂れたという人もいるが、寂れてあれならば、全然問題ない。

泊まったのは、the Fairmont Acapulco Princess。書くのも恥ずかしいが、通称『アカプリ』と呼ばれているそうだ。メキシコ様式のピラミッドを模したメインビルディングのほかに2棟。吊り橋が架かる巨大プール、快適なフィットネス&スパ、ビーチ、テニスコート、雰囲気の異なるレストランがいくつか。ロビーには極彩色のオウム、プールサイドにはフラミンゴ。トロピカルリゾートの王道を行くホテルなのだ。

アメリカの同種のホテルと比べて断然良いのは、食事。例えば、朝食ビュッフェに、僕の大好物のPancitaがあった。また、Caldo de Camaronesという海老スープ。朱色の酸味と辛味が調和した複雑な味だ。2日続けて食べてしまった。また、テラスカフェのようなカジュアルダイニングがあるのだが、ここの烏賊リング炒めは、なんと烏賊の腸(ワタ)ごと調理されたもの。メキシコ人、わかってるじゃない、美味いもの。この辺のテーストの置き所が、アメリカーンのお馬鹿なリゾートに比べて気に入った。

a0064654_0354055.jpga0064654_036844.jpgゴルフ場は、1日目はホテルに付設されているところで、2日目は外のゴルフ場でラウンドした。この、2日目にラウンドした「Tres Vidas」(三つの命)は、メキシコに来てプレーした中で、間違いなく、群を抜いて、一番面白かった。Plata(銀)ティーからで6,480ヤード。コースレーティングが73.1、スロープは136という難コース。僕など、この数字を見ただけで興奮した。海浜コースだが、アンジュレーションがきつく、ちょっとフェアウェーをはずすと、次のショットは途端に難しくなる。どのホールも幅が狭く、OBも出やすい。グリーン周りもくせもので、欲をかいてパーオンなど狙い、失敗すると簡単にダボ、トリになるような、容赦のないコースなのだ。水も、淡水池あり、勿論海もあり、曲げるのが怖い。でも、難しいばかりでなく、大変美しい。それがまた良いゴルフ場の条件でもあるな。青い空に白波の立つ大海原、目に沁みる緑の芝。咲き乱れる赤や黄色の花。美しい要素がすべてここにある。スコアは今一(52,44=96)だったが、骨のあるゴルフ場と格闘する醍醐味を久々に味わい、大満足だった。惜しむらくは、グリーンフィー$200は、高すぎるかな。

さて、今回のアカプルコ。実は、友人、同僚家族がたまたま大挙してアカプルコへ行くことになり、カミサン経由で誘われたものだ。6家族21人というすごいことになっていたのだ。それを一所懸命仕切ってご飯のアレンジなどをしてくれたのがO氏。バリバリの商社マンだけあって、いろんなところに気が回る。しかも無類の酒好きと来ている。毎晩、食事のあとは、ホテルのバーにつきあってもらい、楽しいときを過ごした。

a0064654_0364752.jpga0064654_0371659.jpg食事は、1日目は旧市街に向かう丘の途中にあるスペイン海鮮料理の店、Sirocco。O氏のお薦めだけあって、美味いものがこれでもかと出てくる。海老のオリーブオイルソテー、テーブルに供されてもぐつぐつ言っているほどの熱々。白ワインと一緒に食べて、「うめー!」。ホタテのセビッチェ。「うめー!」。極めつけは、タニシのような小さい巻貝の味噌炒め。貝は、爪楊枝で巻き取るように貝殻から出し食べる。この赤茶色の味噌が、干し海老の粉が入っているようでもあり、豚肉の挽肉が入っているようでもあり、ほのかにスパイシーな味わいもあり、奥深い味なのだ。マレーシア料理のベラチャンにそっくりの味だ。この味噌ならば、ご飯にかけてもパスタにかけても旨いだろう。揚げ豆腐とか、癖のない素材をつけて食べても楽しめるだろう。〆はパエリアで。

2日目は、単独行動で、同じ丘の、今度は頂上付近にあるLas Brisas。席に案内されると眼下に広がるアカプルコの夜景に思わず息を呑む。海に沿って煌く橙色の光、光、光。山の際までずっと続いている。今回は、せっかく行ったのに旧市街の観光はできなかった(毎日ゴルフしてたから)が、次回のお楽しみ。このレストラン、食事のほうは、それなりに美味かったが、景色のほうが強く印象に残った。

a0064654_0374891.jpgアカプルコ、良いではないか。メキシコの熱海という人もいるが、熱海おおいに結構。また行くよ。
[PR]
by gomanis | 2009-02-07 23:31 | 一般

2009年1月2日(金)~1月3日(土)Puebla小旅行

a0064654_13232674.jpga0064654_13161339.jpga0064654_13164589.jpgあまりメジャーではないが、行ってみると、目を見張るような内容の濃い遺跡だった。メキシコシティーから車で1時間半ぐらいなのに、今まで行く機会のなかったPueblaへ行ってきた。

ひとつは、Cholula(チョルーラ)遺跡。Teotihucan(テオティワカン)とも時期の重なる巨大ピラミッド跡だ。テオティワカンほどメジャーでないのは、ピラミッドがスペイン人によって破壊され、原型をとどめていないからだろう。しかし、ここは、ピラミッド内部に広がる地下通路の一部を歩けるのだ。総延長なんと8Kmというから凄い。9層のピラミッドの中を縦横に、また上下に広がる通路は、まるで迷路のようだ。案内人なして迷ったらと思っただけでぞっとした。
このピラミッドを潰して上に無粋な教会を建てたスペイン人、蛮行としか言いようがない。しかし、それが歴史というものだろう。


a0064654_13174767.jpga0064654_13181416.jpgもう一箇所は、Cacaxtla(カカシュトゥラ)遺跡。こちらも9世紀ごろまでに完成した宮殿跡。政治、宗教儀式の行われた場所であり、住居でもあったらしい。ここの見ものは、鮮やかに残っている壁画。カミサンが古代史講座というのに通っており、色々知識を仕入れている。壁画に限らず、古代遺跡は解説があるとないとでは興味の程度が俄然変ってくる。カミサンの解説を聞きながら見ると、なるほどこれが男であちらが女、こっちが戦士であっちが神官、といろいろなことがわかり面白い。マヤ人が攻め滅ばされた様子を活写した壁画など、攻められるマヤ人の腸がはみ出て鮮血が飛び散っている様子まで描かれていて、なかなか生々しい。この壁画、実は、マヤ人を攻め滅ぼした当の本人(オルメカ族?この辺の固有名詞はややこしくて覚えられない)が、マヤ人の絵描きを連行してきて描かせたものらしいのだ。敗者に敗北を徹底して示すこの手法、上述のスペイン人の蛮行にも通じるものがあるし、現代でも行われている愚行でもある。

この遺跡、壁画保護のためだろう、巨大な屋根で雨から守られている。壁のない体育館のような趣なのである。メキシコもなかなかやるではないか。カミサンの話だと、こういう壁画も時が経つとどんどん色褪せるので、見られるうちに見るべきだそうだ。いつ公開中止になるかも知れないのだ。


a0064654_13191316.jpgPuebla市内は、大聖堂、セントドミンゴ教会。19世紀、スペイン系メキシコ人のこれにかけた宗教的情熱、巨額の資本投下には素直に畏敬の念を覚えるのだった。

頑張れ、21世紀のメキシコ人!
[PR]
by gomanis | 2009-01-06 13:24 | 一般

2008年11月17日(月) 父の葬儀

父が亡くなった。91歳の大往生だった。ちょうど出張で日本に着いた日に具合が悪くなり病院へ運ばれ、翌日未明、息を引き取った。そういうわけで死に目には会えなかったが、朝一番の新幹線で駆けつけ、お別れをすることができた。まわりからは、父が呼び寄せたのだと言われた。そうかも知れない。

父は、戦争後シベリアと中国に11年にわたって抑留され、その間に、すっかり無神論者になった。筆舌に尽くしがたい体験をし、この世に神も仏もあるものか、という信念に至ったらしい。このことがあったので、物言わぬ父に対面したときも、悲しみはこみ上げてきたけれども、もうこれは父ではない、父の居た物体なのだ、と思えることができた。父の魂は、あの世へ行ったのではなく、もうどこにもないのだ、父は終わったのだ、と。

そう考えると、葬儀の一連の行事は、むしろ残された者のためのもののように思われてならなかった。家族はじめ、親戚や、生前父と交友のあった人々が、父がいなくなったことを認識し受容するための儀式だ。僕自身、心持が母の葬儀の時とはだいぶ違うことに気がついた。母の時は、母は無神論者ではなかったような気がしたので、僕が祈って成仏できるものなら成仏して欲しいと思い、一所懸命祈ったが、父を送るに際しては、そのような心にはならなかった。何度も合掌、焼香する場面があったが、その都度、父に何事かを語りかけながら、その実、自分にそれを言い聞かせていたのだと思う。

葬儀を頼んだ寺は、僕の高校の友人が副住職をやっているところだ。ゆくゆくは親父さんのあとを継いで住職になるらしい。高校時代、一緒にギターを弾いたり隠れてタバコを吸ったりしたかなり近しい友人だが、こいつに高いお布施を払うのかと、正直、強い違和感があった。しかし、通夜、出棺、火葬、本葬と一連の流れを経て、お布施とは、坊さんとは、こういうものなのだ、と納得するものがあった。

坊さんの赤や紫に金色の仰々しい袈裟や、2人、3人で合奏のように行う読経。それらは、一種のパフォーマンスなのだ。遺族や、来葬者に対し、“この儀式を通じて、故人は仏様になるんです。あなたは信じていないかも知れませんが、あなたは間違っているかも知れませんよ。私が大真面目に儀式を執り行いますから、仏の道を信じてみなさい。”と説得するデモンストレーションとでも言えばいいのだろうか。僕からすると、高いお布施を払ったのだから、せいぜい、上手く演じてくれよな、という気持ちでこの友人のパフォーマンスを見守った。なにしろ、肝心の父がもうここにはいないのだから。

そして、彼らは上手く演じきった。友人の読経も堂に入ったもので、次第に、ああ、これは確かに日本の社会では、確固たる需要のあるビジネスなのだな、と思えたのだ。彼らが執り行う儀式に皆集う。集う人々は、宗派の違いはあれ、おおむね、順序や式中のしきたりを無言のうちに共有し、儀式の一部となる。

父は、こういう葬儀を見越していただろうか。いや、達観していた人だから、自分なきあとのことなど気にもかけず、来こし日に想いを馳せながら人生を閉じたような気がする。

さようなら。
[PR]
by gomanis | 2008-11-17 21:17 | 一般

ブログ復活!

メキシコに来てから、ブログの更新が、すっかりたらーん、たらーんと間延びしてしまっていた。色々言い訳はあるのだが、大きな原因のひとつがテクニカルな意味でのブログ環境だった。家のワイヤレスネットワークと、前に使っていたPC(Internet Explore)のせいで、投稿ページにログインできないことがしょっちゅうだった。これ、こういう環境にいない人には想像もつかないことだろう。で、面倒くさくなって更新を怠っていた。

が、しかし、このたび、環境を一新!VAIOを最新のZシリーズに替え、router経由のワイヤレスネットワークを止めてIusacellのWANサービスに切り替えたところ、さくさくつながるではないか。これだと、WANの信号さえあればネットアクセスできるので、例えば渋滞の車の中からもブログが更新できる。

あとは、どれだけマメに書くか、だけだね。乞うご期待。

a0064654_2163547.jpg
[PR]
by gomanis | 2008-11-16 21:04 | 一般

2008年9月30日(火) 開拓の村、鰊御殿

a0064654_1346419.jpga0064654_13462367.jpga0064654_13464047.jpg開拓の村。明治村のようなコンセプトであるということだったが(僕は、明治村行ったことないが、楽しいらしい)、なかなか面白かった。

旧浦河支庁も、明治時代の交番も駅前旅館もよかったが、一番感動したのは、鰊御殿。僕は、不勉強にも、鰊御殿とは、鰊漁で大儲けした網元が建てた大邸宅のことであると誤解していた。実は、それは、企業体そのものだったのだ。まず、鰊御殿は、単体の建物ではない。母屋のほか、海にせり出して建てられた建物、母屋の後ろに連なる倉(それも書庫、米倉、味噌倉、網倉等に分かれている)、鰊の加工場、番屋などすべてを含んだ総合施設なのだ。

a0064654_1347820.jpga0064654_13475049.jpga0064654_1348471.jpg
母屋に入ってびっくり、土間を挟んで右手が親方一家の家、これは、勿論、そこそこ豪華だ。左手に対をなす部分は、なんと季節労働者の居住空間なのだ。コの字形の2層構造に畳がびっしり80枚敷いてある。この畳一畳が1人分の空間なのだそうだ。コの字形の真ん中の部分は板間になっており、皆、自分の畳の前で板間に向かって座り食事をしたのだそうだ。そう、鰊御殿は、80人が寝起きする宿舎でもあったのだ。板間に立て札があり、喧嘩、賭博を固く禁ずる、などと仰々しく書いてある。中には、荒くれ者や無法者もいたのだろう。80人の喧騒が想像できるようだった。

書庫には、歴代の漁獲高、収入、支出の細かい記録などが保管されていたという。網倉には、毎年、漁を終えたあと、洗って手入れをした網や、各種の漁具、道具が保管されたそうだ。そして米倉、味噌倉には、ずべて自家製の米、味噌が蓄えられていた。米は1日45Kg必要だったそうで、外から買うなどという選択肢はなかったのだろう。自前の田畑を持ち、自給していたとのことだ。

こういう事実を知るにつれ、驚愕を通り越して、先人への尊敬の念が沸いてくるのだった。この人たちは、百数十年前の明治時代に、鰊の量を予想し、漁獲高の計画を作り、それに応じて人を雇い、組織立て、食糧を準備し、漁具を揃え、漁獲後の加工の段取りを整え、流通への販売の算段をし、漁期が終わると収支をまとめ、記録に残し、翌年の支度をしていたのだ。今でいう3rd Partyが使える時代ではなく、必要な業務や資源をすべて自前で調達していたのだ。現代企業でいう、経営管理、資材、人事、生産管理、生産、財務・経理、販売などが、すべてこの鰊御殿の中で機能していたのだ。それも100人もの規模でだ。すごい、の一言に尽きる。
[PR]
by gomanis | 2008-10-06 13:48 | 一般

2008年8月17日(土) チワワ鉄道の旅 Vol.2 El FuerteからPosada Barrancasまで

駅には、旅情を誘う独特の空気が流れているものである。日本の駅だけでなく、今まで旅して来たバンコク、クアラルンプール、ブリュッセル、ベネチアどこでもそうであった。あぁ、ここから汽車に運ばれてよその土地へ行くのだという興奮があった。学生時代を過ごした中国では、田舎の小さな駅もたくさん行ったが、程度の違いこそあれ、同様の雰囲気はあった。駅舎という特殊な空間に入った瞬間から、その土地から切り離され、移動するのだ、という気持ちになったものである。

a0064654_1285791.jpga0064654_12391120.jpg
チワワ鉄道の駅には、残念ながら、それが、ない。皆無である。たとえばEl Fuerte、駅舎は、7-8人も入ればいっぱいになる粗末なもの。乗客は、皆、ホームやレールの周りで適当にたむろして待つ。炎天下、湿度も高い。ま、メキシコらしいといえばメキシコらしいか。

そして、8時半に来るはずの列車が10時になっても来ない。だいたい、駅のどこにも時刻表がない。当然のことながら、何が起きているのか、遅延した列車はいつ来るのか、アナウンスもない。こうした事情はガイドブックに書いてあって、乗客(ほとんどが外国人と思われる)もあまり騒がない。僕も知識としては知っていたが、いざ、その場面になるとやはり腹が立つものだ。

さらに待つこと30分ほど。ようやくお待ちかねのチワワ鉄道が姿を現した。ゆっくり、ゆっくり近づいてくる。

指定席でもない。切符を片手に列車に乗り込み適当な場所を探して座る。文句ばかり言ってきたが、乗ってみれば、中は、ゆったりとしていて、椅子も立派で柔らかく、悪くない。冷房も効いている。

a0064654_12394881.jpga0064654_12402397.jpg発車してしばらくは、El Fuerte付近の平らな熱帯雨林のようなところを進んでいく。なかなか景色が変わらない。そう、チワワ鉄道は、スピードが異様に遅いのだ。ロス・モチス-チワワ間650Kmを15時間かけて運行しているということだから(時刻表通りに走ったとして)、なんと時速43Kmだ。日本の在来線の特急は、僕の子供のころの記憶によれば遅いものでも時速70Kmぐらいでは走っていた。しかも途中駅にたくさん停まってである。ちなみに新幹線は平均時速230Kmを超える。スピードの是非については、後述。

さて、午後になり、ようやく山間部に入る。ちなみにこの区間、乗るなら右側の座席が良い。山が左から迫っており、左側の席についた僕らは、ほとんどの時間、窓のすぐ外にある草や木を眺めていた。その点、右側は時々視界が開け、川や谷が見えたりする。

山は、切り立っている。そして緑が豊かだ。左側の席からでも、時々山の頂が仰ぎ見える場所があり、断崖に張り付くように生えている木々が緑の葉を元気につけているのが見えた。

a0064654_1241773.jpg車内は、時々車掌が回って来る。マリアッチもそうだが、あんな感じで、ちょっと前時代的なフォーマルな格好をしており、滑稽だ。

腹が減ったので、食堂車へ行ってみる。地球の歩き方には、ヨーロッパ風のしゃれた食堂車の写真が載っていた。
あれ?

カウンターが一個、周りに食べるためのテーブルがいくつか配置されているが、食堂車という雰囲気からは程遠い。この理由は、翌日明らかになるのだが、この時点では知らなかった。仕方がないので、とにかくカウンターで、何か口に入れられるものを物色すると、なんとカップ麺があるではないか。珍しく、カミサンがこれにしようと言った。僕とてラーメン大好き人間だ、異論のあろうはずがない。


a0064654_12414417.jpga0064654_12421761.jpg『Dos Maruchan, por favor。』これで通じる。メキシコでは、マルちゃんは、カップ麺の代名詞になっているのだ。しょうゆ味にチリがたくさん入っている。結構なピリ辛で、僕好みの味だ。メキシコ人は、これに、更にチリパウダーを山ほどかけて食べる。チワワ鉄道は、とても揺れが激しいので、こぼさないように気をつけながら麺をすすり、スープを飲む。美味かった。


列車は、山間を縫うようにゆっくりと登っていく。川の向こう岸にもう一本の鉄道が見えたなどと思っていると、大きくカーブを切って、実はそこがレールの続く先だったことに気がついたりする。今、通り過ぎてきたレールが、川の反対側の眼下に見える。標高が上がったのか、霧が出たり、急に雨が降ったりする。

午後5時をまわった頃か、ようやく今日の目的地、Posada Barrancasに到着。Hotel Miradorにチェックイン。ちなみに、“Mirador”は、展望台の意味だ。


a0064654_12424612.jpg名前どおり、ホテルは、銅峡谷(Barranca del Cobre)を望む断崖絶壁の上に建っている。食堂の前が広いテラスになっており、ここからの眺望は素晴らしいの一語に尽きる。眼下に広がる深い谷、谷底に平がる緑の盆地、そして更にその先に続く別の山々。遥か対岸の山の岩肌が、雲間から差し込む夕日に光っている。テラスに面したバーで、テキーラで乾杯。待たされた駅のことも、長かった列車の疲れも忘れ、息を呑む大自然の景観にひたすら見入っていた。

a0064654_12431826.jpg

[PR]
by gomanis | 2008-08-29 12:46 | 一般

2008年5月13日(土)~15日(日) Guanajuato, San Miguel de Allende 近代史跡を訪ねる。

a0064654_11155858.jpgメキシコの歴史を極めて乱暴に二つに分けてしまうと、スペイン人が来る前と後ということになろう。年代で言うと1521年のコルテスによる征服、支配が区切りになるか。

メキシコには豊富な観光資源があるようだが、カンクン、アカプルコなどのリゾートを除くと、上記の区切りによって大きく2つに分けられるというのが、最近の僕の発見だ。ひとつはスペイン人以前の文明の遺産を見るもの。テオティワカンやチェチェンイッツァに代表されるマヤ、アステカ文明の遺跡だ。そしてもうひとつが、スペイン人以降のいわゆる近代の歴史遺産を見るもの。

なかなか時間が取れなくて(ゴルフに忙しく!)、観光もおろそかになりがちだが3月には初の休みを取り、オアハカへ行った。これは、前スペイン時代の遺跡を見る旅行。古代に思いを馳せ、なかなか良い旅行だった。

2回目の今回は、趣向を変え、近代メキシコの激動を追体験する旅行。行き先は、グアナファトとサンミゲル・デ・アジェンデ。メキシコシティーから北西に4時間ほど車で行ったところだ。
古代遺跡巡りが、どうしても想像に頼るしか楽しむ術がないのに対し、近代史跡の観光は、豊富な文献、彫像、遺留物、絵画、壁画などがあるので、どちらかというと受身で、“学習する”という姿勢になる。僕が相手にしている現在のメキシコに直接つながっているという意味では、近代史跡のほうが面白いと思う。


a0064654_11203942.jpg
今回訪問した2都市は、近代史の中でも1810年に始まる独立戦争の舞台だ。面白いのは、独立戦争の主役がスペイン人の末裔だったこと。独立戦争は、宗主国スペインと植民者たるメキシコ(当時はNueva Espana - 新スペイン領)のスペイン人という、スペイン人同士の戦いだったのだ。ミゲル・イダルゴ、イグナシオ・アジェンデ等独立戦争の英雄は、皆、白人である。こういうことは、本で読んで知っていたが、現地で色々な壁画や銅像などを見ると、改めて、スペイン人が常に主役の国だったのだということがよくわかる。先住民が歴史の表舞台に現れるのは、19世紀も後半のフアレス(オアハカ出身のサポテカ人)まで待たなくてはならない。独立戦争のドラマは、至るところに絵画、壁画で残っているが、常に、白人の扇動者が先住民を相手に演説している場面だ。




a0064654_11174723.jpgこの中で、例外的と思われるのがグアナフアトのピピラ。独立戦争の際、堅牢な穀物倉庫(現在の博物館)に立てこもる政府軍に手を焼く蜂起軍。時間が経てば政府の援軍がやってきて、蜂起軍の優勢は覆されてしまうかもしれない。このときに、勇躍爆弾を抱え、自分の命と引き換えに倉庫の頑丈な扉を破ったのがピピラという先住民だ。一鉱山夫であったという。彼は地元の英雄で、グアナファトを一望する丘の上に立派な像が建っている。

ピピラに限らず、この時代の人は、そしてその後の近代史の英雄、政治家にも戦死、処刑死、獄死が実に多い。上記のミゲル・イダルゴら独立戦争の4指導者も、政府軍に負けるや、全員首を掻かれ、その首は、グアナファトの町外れに晒されたという。首が回収され、名誉回復したのは、1820年、独立が成就してからだ。首が晒されること、8年ほどに及んだ計算になる。われわれが想像するよりずっと烈しい気性の国民なのだ。もうひとつ思うのは、大義のために喜んで死ねる時代だったのだろうということ。日本の、幕末の志士に通じるものがあるかも知れない。




a0064654_11201027.jpgところで、グアナファトといえば、メキシコでもっとも古い銀鉱山の町でもある。むしろ1548年代の銀鉱脈の発見により発展した町だ。銀鉱山跡に建つ豪奢な教会も、セントロに建てられた、ヨーロッパの大都会に置いても引けをとらないような大劇場も、すべては、銀がもたらした富によって造られたものだ。町全体が、銀景気で産まれたようなものなのだ。富は、当然、当時の支配階級であるスペイン系白人の手に集中していた。それを考えれば、町並みがスペイン風であることにも簡単に納得がいく。彼らは、この地にスペインを再現したかったのだ。






a0064654_1121282.jpgサン・ミゲル・デ・アジェンデには銀鉱山はないが、ここも、その気候の温暖さに目をつけたグアナファトなどの銀成金が別荘地、隠居地として造った街だ。もちろん、ここにも、彼らが忘れられなかったスペインの町並みが再現された。車がすれ違うのがやっとの狭い石畳の道の両側に、石塀が続く。ところどころに門があり、質素な建物風なのだが、一歩足を踏み入れると、たいてい、中は、驚くほど広く贅沢に空間が広がっている。小さな中庭があり、四方それぞれに立派なスペースを持った建物が伸びている。Hacienda(中世の領主が住んだ荘園の館 - メキシコシティーでいうとSan Angel Innが有名)が町中にあるようなものだ。いかに巨大な富がこの小さな町に投下されたか想像がつく。

こうした、メキシコ中北部高原に残る殖民都市は、観光ガイドには『コロニアルシティー』と表現されているのだが、鉱山跡の見学から観光を始め、贅を尽くした大聖堂、史実を記録した博物館を訪れると、その成り立ちや、どうしてスペイン風の町が出来上がったのか、よく理解できる。

a0064654_11214139.jpgグアナファトでもうひとつワクワクさせられたのは、縦横に走る地下道だ。曲がりくねった地下道は、中で分岐、合流などもしていて、迷路を辿るような楽しさもある。まるで地上の街と、二層構造になっているようだ。これも、銀鉱山の名残。鉱山の排水溝だったものを、交通渋滞を解消するために拡張し、車が通れるようにしたのだそうだ。オレンジ色にほの暗く光るトンネルは、どこへ続いているのだろうと冒険心をかき立てられ、いくら見ていても飽きなかった。

次稿は、いよいよ食べ物編。
[PR]
by gomanis | 2008-06-29 11:25 | 一般

わかった!

a0064654_3375349.jpg衝撃!! 誰にも明かされることがなく、夫KKさんしか知る者のなかったあのM子ちゃん(みぃ)のブログURLがついに判明した。なんと大胆にも、本人が書き込み時に自分でリンクを貼っていたのだ!!
[PR]
by gomanis | 2008-01-01 03:39 | 一般

2007年12月24日(月)~28日(金)有朋自遠方来、不亦楽乎

a0064654_2405095.jpgサンディエゴから、I夫妻K夫妻が遊びに来てくれた。メキシコに引っ越してから、初めての来訪者だ。嬉しい。本来、僕の今回のコンセプトは、美味いものを食べてもらう、だった。僕が刮目させられた、メキシコの食文化の水準の高さを是非体験して欲しかった。

ところが、である。クリスマスの時期、多くのレストランが早く閉まったり、そもそも営業していなかったりすることがわかった。やっていてもクリスマス特別メニューしかなく、アラカルトで選べなかったりするところもある。そんなわけで、初日はスペイン料理のTorre de Castilla、25日はFisher’s(カジュアルシーフード)、26日はAu Pied de Cochon (Presidente Intercontinental Hotelの中にある24時間営業のフレンチビストロ)というラインアップにせざるを得なかった。Torre de Castillaは、僕も初めてだったので期待していたが、唸るほどの料理は出なかった。加えて、一皿二万円もするうなぎの稚魚料理を値段も告げずに売りつけようとするという言語道断の振る舞いがあり、逆に二度と行くものかと思ってしまった。


a0064654_2415196.jpga0064654_242771.jpga0064654_2422321.jpgそんなわけで、食に関して万全のアレンジというわけには行かなかったが、それでも、皆、そこそこ楽しんでくれたようで、ほっとした。僕は同行しなかったがPueblaの郷土料理に舌鼓を打ったそうだし、昼に食べたタコスなども美味い、美味いとよろこんでくれた。




a0064654_2425466.jpga0064654_2502732.jpg観光は、色々楽しんでいただけたようだ。僕も、皆が来てくれたおかげで、行く機会のなかったティオティワカンへ行くことができた。急な勾配のピラミッドを登るのは、相当きついが、上からの眺望は素晴らしい。1~6世紀ごろに、ここに10万人都市があったのだと言う。荒涼とした廃墟を前に、その繁栄ぶりに思いを馳せたりした。




a0064654_251784.jpga0064654_2453734.jpg最終日は、一日長く泊まったK夫妻と世界遺産のひとつソチミルコへ。アステカの水都に様々な物資を運んだ水路だ。川面を行き来する物売りからつまみを買って食べたり、マリアッチの歌や演奏を楽しんだりする1時間半ほどの優雅な舟遊び。





4人が泊まっている間、うちは、とてもにぎやかだった。わいわい言いながら朝ごはんを食べたり、夜は酒盛りをしたり、僕にとっては、これが、一番楽しい時間だった。マニスも皆にかわいがってもらい、幸福そうだった。夜は、なんとマニスの争奪戦。皆、一緒に寝たがっていたようだ。勝者は、KKさん。Mちゃんが妬むほど、マニスはKKさんにべったりだった。

皆さん、また来年遊びに来てくださいね。今度は、もっと美味いレストランや、穴場を見つけておきます。ゴルフもしようね。a0064654_246793.jpga0064654_2462321.jpga0064654_2463753.jpg
[PR]
by gomanis | 2008-01-01 02:59 | 一般