あの可愛かったマニスが逝ってしまった。11歳と4か月、幸せな生涯であったことを願うばかりだ。ありがとうマニス。拾い食いばかりする駄犬だったけど、僕ら夫婦には最高の犬だった。
最後の数ヶ月は、カミサンが一所懸命面倒をみた。マニスの思い出を残すために、そのカミサンのメモを以下転載します。 突然のご報告に何故?と思われた方も多いと思うので、私自身のマニスとの思い出の記録のためにも マニスの最後の様子を書き残しておきたいと思います。 2012年7月に膀胱炎のような症状が見られたので、獣医に行き投薬治療が始まりました。症状が改善せず、数種類の薬を試しましたが、膣のあたりからの少量のおりものは治まりませんでした。それでも血液検査などの結果は良好だったし、全身麻酔をしないと診られない場所ということで、暫く様子を見ることになりました。 2013年3月に歯のクリーニングをすることになり、犬の場合全身麻酔で行うので、その際に膣口を開いて中を診てもらうことになりました。結果、中には葡萄状の腫瘍ができており、一部採取して細胞診に出したところ、移行性上皮癌という診断でした。切り取ることのできない場所で、放射線治療しかないのですが、犬の場合放射線治療は毎回全身麻酔で負担が大きく、副作用もあるため、積極的治療はしないことに決めました。腫瘍部分は出血し易い状態だったので、止血剤、感染症予防の抗生剤を服用させることになりました。その時はショックでしたが、進行の遅い癌のようで、その後もマニスはすこぶる元気に過ごしていました。ちょうど車を購入したばかりだったので、元気なうちにと、大井海浜公園へ散歩に行ったり、東北、千葉などたくさん旅行にも行きました。秋くらいからおりものの量が目に見えて増え、腫瘍が尿道に近いため、おしっこをする度に違和感があるのでしょう、残尿感がひどく、散歩に出ると何度も何度も、おしっこをするようになりました。それでも血液検査の結果はすこぶる良好で、転移も見られませんでした。その段階では将来腫瘍が大きくなって尿道を塞いて尿が出なくなるかもしれないので、注意して見るように獣医に言われました。そんなことになったら、こんなに食欲もあって、元気なのに、おしっこが出ないだけで安楽死させる日が来てしまうのかと心が重くなりました。11月9日はマニスの11歳の誕生日でした。ちょうど土曜日だったので、最後のお誕生日になるかもしれないと、千葉にあるお気に入りのペットOKのペンションに行き、ペンションの方に誕生日プレゼントまで頂き、楽しく過ごしました。年末くらいから便が柔らかくなり、今度は残便感(しぶり腹というのでしょうか?)がひどくなり、下痢止めの薬を服用しても改善しませんでした。2014年が明けて1月16日に獣医が肛門触診をしたところ、腸骨下リンパ節が腫れて腸を圧迫していることがわかりました。恐らくリンパに転移しているとのことで、レントゲンでは肺に影があり、そちらも転移が疑われるとのことでした。それからは散歩に行くと頻尿に加えて頻便状態になり可哀想でした。散歩だけでなく、トイレに連れ出す回数も増え、それと共に気候は段々と寒くなり、今年は雪も多くて、夜の寒風吹きすさぶ中で寒さに震えながら何度も一生懸命力んでいる姿は本当に可哀想で、家に戻ってコタツで温めてやりました。エサも癌犬用の高級缶詰に替えたのですが食べたのは数回で、味が嫌いだったらしく、今まで食いしん坊でエサの音を聞くとハウスから飛び出して来たマニスが「ごはん」と聞いてもハウスから出て来なくなってしまいました。これは一大事、食べなくなったらおしまいです。そこで今まで食べていた普通のエサに戻しました。その辺りから朝は食欲がなく、鶏のささ身を入れたりしてどうにか食べさせる感じになり、家ではほとんどの時間をハウスの中に引きこもるようになりました。気候もどんどん寒くなり、寒さが苦手なマニスには厳しい日々でした。この頃主人はほとんど出張で通算35日間も留守だったので、いない間にどうにかなったらどうしようかと不安な日々で、毎日メールでマニスの状況を報告していました。でもマニスは本当に飼い主孝行で、ちゃんと主人の出張が終わるまで頑張りました。2月中旬に主人が戻ってからは精神的に落ち着いたのか、少し元気を取り戻し、このままだったら桜も見られるかなと思えるほど元気に過ごしていました。ところが2月末から出血量が増え、ひな祭りの頃から食欲が減退し、3月7日には朝のエサは全く食べなくなりました。インターネットで手作りエサを調べ、野菜とささ身を煮たものを作ったところ、午後には完食してくれたので、これからは手作りエサで頑張ろうと思っていたのですが、翌朝にはそれも食べなくなり、腫瘍が圧迫しているせいか、おしっこも外に行くまで我慢ができなくて玄関で粗相するようになりました。マニスは外でしか排泄をしない犬なので、その都度連れ出していたのですが、寒さのせいか、排尿時の痛みのせいか、家に戻っても震えるようになりました。8日に獣医に痛みを取る方法を尋ねましたが、マニスの場合患部が舐められる場所にあるため、痛み止めのパッチをつけることができないし、後はモルヒネになりますと言われました。獣医には以前に「犬は話せないので食べない、散歩も行きたくないというのは、生きる意志が無くなったと思いましょう。」と言われていましたし、主人ともその時には安楽死させようと話していたので、その日が近いことを知りました。何よりマニスが苦しまないこと、それが一番大事。マニスのQuality of Lifeを最優先しモルヒネは使わないことにして、最後の2日間はヨーグルトや赤身の牛肉など、今までは健康に悪いと与えなかったものも与えました。元気な時だったらペろっとたいらげたであろうご馳走もその力はなく、それでもちょっと食べてくれました。私に気を遣ったのかな?何匹もの犬を看取ったとこのある友人に最後は猫缶のモンプチがいいと勧められたので与えてみると、あら不思議、本当に食べてくれました。先輩のアドバイスは貴重です。9日には主人とペット霊園の下見に行きました。ちょうど隣の駅に良い霊園があり、そこにお願いすることにしました。Xデーがいつになるのか、現実味を帯びてきたそんな話を泣きながらしました。9日の午後は久しぶりにとても暖かく、主人とマニスと30分お散歩に行き、マニスも元気に歩いて、この調子ならもう少し一緒にいられると思ったのですが、翌10日は酷く風が強くて寒い日でした。朝から何も食べません。午後になったら少しは気分が良くなるかと期待したのですが、散歩も行きたくないし、震える回数が増え、大好きだったおやつを噛むのも苦労している様子で、食べ終わった後にまた震え出しました。物を食べると苦しいんだな。決断の時だと思いました。すぐに主人に連絡して、会社が終わったら一緒に獣医に行くことを決めました。これ以上苦痛を長引かせるわけにはいきません。獣医に夜6時半に行くことを伝え、それからはマニスを膝に乗せて、どんなにマニスを愛しているか、どんなにマニスに感謝しているか、ずっと話しながら優しく撫で続けました。マニスは落ち着いた様子で私の声をBGMに休んでいました。主人が帰ってからは最後の1時間を3人で静かに過ごしました。ヨーグルトを与えると喜んで私の指から舐めてくれました。この瞬間のマニスはいつも通りのかわいく、つぶらな瞳で決意が鈍りました。でも獣医に行く前に庭で排泄をする様子をみて、やっぱりもうだめだと思いました。いつも使っていたタオルにくるんで車で病院に行き、最後に抱きしめて「すぐに迎えに来るからね」と言って、マニスが好きだった優しい看護師さんに託しました。マニスはきょとんとしていました。外で待つこと20分くらいでしょうか、処置が終わり対面したマニスはまだ温かくて眠っているようでした。でももう私が知っているマニスの姿ではありませんでした。主人と「ありがとう。ここまでよく頑張ったね。苦いお薬をたくさん飲まされて辛かったね。」と話しかけました。家に連れて帰り、棺の中に大室山で3人で撮った笑顔の写真と、大好きだったグリーニー(おやつ)を入れました。夕飯はマニスのすぐそばで主人と思い出話をしながら時々泣きながら食べました。まだぬくもりが残るマニスの身体をいっぱい撫ででやりました。その晩は棺を寝室に持ち込み、一緒の部屋で寝ました。一緒にベッドで寝るのが大好きで、朝方主人のベッドに潜り込んで短い時間ですが、主人の腕枕で幸せそうにしていたのに、最後の数か月は出血があったので、ベッドに乗せてあげられなくて、可哀想でした。翌朝主人はマニスにお別れの言葉を残して会社に行きました。私は夕方霊園の方が引取りに来てくれるまで冷たく硬くなってしまった身体を撫でたり、話しかけたりしていました。午後には母と姉がかわいいお花と、マニスが好きだったイチゴを持ってお別れに来てくれました。二人に優しい言葉をかけてもらい、いっぱい撫ででもらい、マニスは幸せだったことでしょう。3人でマニスをお花で飾りました。最後にマニスのトレードマークだった大きな耳元で「また一緒に遊ぼうね。」と言っておでこにキスをして、霊園の方にお渡ししました。マニスの肉体は私の手元を離れて行ってしまいました。 マニスには感謝の言葉しかありません。たくさんの楽しい時間、楽しい思い出、ちっちゃいマニスがくれた抱えきれないほどの愛を大切にしていきます。我が家に来て10年半、思っていたよりちょっと短かったけど、マニスは自然に帰りました。マニスを可愛がってくださった皆様、本当にありがとうございました。マニスは人が大好きで、皆さんが遊びに来てくれるのが嬉しくて、マニスも皆さんとのたくさんの思い出を抱いて虹の橋にいると思います。サンディエゴで犬を飼おうかと思った時に、偶然知り合いからアニマルシェルターの話を聞き、軽い気持ちで週末に訪ねたら、小さい犬が主人のハートを鷲掴みにして、気づいたら我が家の飼い犬になっていました。ご縁ですね。マニスと知り合って、レスキュー団体から犬を3匹もアダプトしてくれた友人がいます。マニスは3匹の犬の命を救ったんだよ。そんなマニスを誇りに思うよ。一匹でも多くの捨て犬が温かい家庭に引き取られることを願わずにいられません。マニスとの楽しい生活は終わってしまったけど、私たちはこれからも夫婦仲良く楽しく暮らして行くことをマニスに誓います。だから心配しないで、虹の橋で待っててね。また一緒に暮らそうね。 #
by gomanis
| 2014-03-15 10:05
| 犬
![]() ![]() 日本に帰って3カ月。たまーにであるが、料理をするようになった。ゴルフでいうと120叩いているぐらいの腕前だが、ゴルフの初心者と同じで、それでも楽しい。早く100を切れるように場数を踏もう。 今回は、豚の角煮。先週はラフティだったので似たような料理だが、僕にとっては意味がある。同じ番手で練習を続けるようなものなのだ。忘れないように記録を軽くつけておこう。 材料:豚バラ角煮用肉ブロック x4、計400g弱、ニンジン・長ネギ 香りつけほど。 調味料: 砂糖 大匙2 みりん大匙1 酒 大匙1 醤油 大匙2 味噌 大匙1/2 ニンニク 1カケ 生姜 1/3 まずは肉に塩・胡椒をして焼く。反省その1。焼く時間が短かった。焼き色がつくまでやるべきだった。次に、生姜を2かけとニンニクをひと1カケ入れて2時間ことこと茹でる。ラフティーは泡盛で茹でたが、角煮は水。匂いが軽くて料理するほうは、この方が楽。灰汁を取りながらと思ったが、それほど出なかった。でも脂はがんがん出る。 一旦肉を取り出し、茹で汁は捨てる。鍋も洗い、なぜかすっきりした気分。ここからが楽しい時間だ。上記調味料を、醤油1/2匙除き、全て投入し、たっぷりの水でさらに2時間弱火で煮る。茹で汁が蒸発し、肉塊の肩が出てしまうのでときどき肉の位置を変えてやる。この段階で肉は早くもぐずぐず崩れやすくなっているので、箸でなくトングを使うのは前回ラフティで覚えたこと。 あと1時間になったところで茹で卵を準備。沸騰したお湯で10分。上げて剥いておく。卵の色が変わっていくのを想像するのはわくわくする。Cook Padのレシピでは完成10分前に鍋に入れることになっているが、僕は、十分に味、色が付いてほしいので、待ち切れず17分前に投入。 反省その2。卵は、もっともっと前に投入して良い。次は30分煮てみよう。 残り15分で最後の醤油1/2匙を投入。これはラフティのレシピからの応用。醤油は、案外煮詰まって濃い味になるのだそうだ。 完成!卵をトングで取りだし、縦に二つに切って肉と一緒に盛り付ける。嬉しい。 角煮完成間近にはもう一つ作業が。鍋の用意だ。これは、僕が長いこと読み続けているメルマガ「断腸亭日記」の池波正太郎レシピから。江戸趣味だ。大根を千六本に切り、浅蜊のむき身と出汁で煮て食べるというもの。材料は、大根半分、浅蜊のむき身2パック。以上。大根を切るのが下手くそなので時間がかかるが、至って簡単な料理。浅蜊は、ざるにあけて軽く洗って水を切り、酒を振り掛ける。 いよいよ食べる。労作、豚の角煮は、美味かった。肉は期待通りとろとろになり味が染みている。しかし、反省その3。甘い。なぜだろう?ラフティの時は大匙2でちょうど良かったのに。砂糖の量も同じ。みりんの有りなしの差か。いずれにしてもこれが、今回の最大の学び。次回は、醤油を倍にしよう。 大根と浅蜊の鍋は、粋で美味かった。だし汁を、手を抜いてアゴ出汁にしたが、鰹節でちゃんと出汁を取ったらもっと美味かったのかもしれない。まぁ、よしとしよう。大量の大根と浅蜊を3回に分けて鍋に入れ、軽く完食。これは、いい。またやろう。 #
by GoManis
| 2011-11-22 20:22
| 我が家の食卓
![]() 新橋の蕎麦居酒屋、本陣房である。ウェブで適当に探した店だったが大正解。だいたい、新橋が好きだ。ちゃらちゃらしたところがなく、落ち着いている。僕が同化しやすい。つまり僕もそういう新橋が似合うオヤジになったということだ。さほど大きくない店内を見渡せば、ほとんどがオヤジだ。大勢で騒ぐ野暮はおらず、皆、2-3人で来て、旬のものをつまみながら談笑している。微笑ましい宵の風景だ。 穴子の素焼き、鴨焙りと少し強いものに移る。穴子は、本わさびをちょいと乗せて。うまい。 それにしても昼間は暑かった。猛暑とは聞いていたがその中に身を置いてみると本当に辛い。一歩一歩、足を前に進めるたびにじっとりと汗がにじみ出る。首の後ろから背中にかけてべとっとして気持ち悪い。 しかし、この気候のなか、たくさんの人が働いている。それで社会がちゃんと機能している。大したものだ。その働いていたオジサンたちが(オバサンもだけど)、酒を飲んで一日の疲れを癒している。僕らは、その人たちを眺めながら、日本の社会に同化する過程にいる自分を感じる。 〆にそば。カミサンは二色盛、僕はせいろ大盛。二色盛というのは、極太の田舎そばとのコンビネーション。僕のは、普通の蕎麦の3段重ね。汁に少し浸けて勢いよくすすりこむ。旨い。 夏だ。日本だ。 ![]() ![]() ![]() ![]() #
by GoManis
| 2011-08-19 08:53
![]() いくつか決めたことがある。まず、料理を趣味にしようと思う。大昔、インドネシアにいたこ ろまでは、特に週末など、カミサンと一緒に厨房に立ったものだったが、その後、とんとご 無沙汰していた。ここ数年ずっと読んでいるメルマガがあり、東京に戻るようなことがあっ たら、自分でもいろいろ旬の素材でつまみを作るのも悪くないかなと思っていた。 それから、今まで以上に走ろうと思う。メキシコではセキュリティー上の理由で外を走れ ないのが一番のフラストレーションだった。東京の街は、信号が多くて走りづらいが、空気 がきれいだ。今度の家は北品川。御殿山の緑の中を走るのはきっと気持ちいいに違いな い。 健康に暮らすという意味では、会社までは、歩いて通おうと思っている。前回の東京では、しょっちゅう二日酔いになり、結構な頻度でカミサンに車で送ってもらっていた。今回は、車は買わないことにしたので、そんな甘えは通じない。ほどほどに飲み、すっきりした頭で会社まで歩くのだ。とは言え、ここ数日実際に歩いてみると、この酷暑の中では苦行だ。もう少し気候が良くなるまではバスとの併用で乗り切ろう。 もちろん、旨いもの探索とゴルフは続ける。これがなければ僕の生活ではない。 #
by GoManis
| 2011-08-18 15:31
最近、1,2,3というリズムに凝っている。もちろん、ゴルフの話だ。出張者が買ってきてくれたDVDのレッスンビデオにあったのだが、すべての番手をイチ、ニ、サン!という同じリズムで振るといいというのだ。この2週間ぐらいやってみているが、なかなか即効性があるように思える。皆さんにお勧めしたい。
1(イチ)がバックスイングの始動の合図。ここでクラブをソールして少し腰を落としても良い。2(ニ)で一気にトップまで持っていき、3(サン!)でインパクトを迎える。 この方法の画期的なのは、2と3が等時間であることだ。周りのゴルファーを観察していると、ほとんどの人は、2が3の1.5倍から2倍ぐらい遅い。そしてこのゆっくりしたテークバックの間によけいなことを考えたり、不必要にクラブをこねくり回したりしているように見受けられる。何よりイケナイのは、ダウンスイングのスピードが一定でなくなることだ。それは、3のダウンスイングのスピードがテークバックのスピード(テンポ)とリンクしていないからに違いない。 一方、1,2,3の方法では、ダウンスイングのスピードは、常にテークバックのスピードと一緒だから、テークバックのスピードを決めることでダウンスイングのスピードも制御できる。 しかもそのスピードは、メトロノームという簡単な道具で身につけられるので、アマチュアでも再現性を高めることが可能だ。レッスンビデオによると、女性で60-70拍、男性は70-80拍ぐらいが良いとしている。プロは、85以上らしい。メトロノームは、スマートフォンで簡単にダウンロードできるから、ラウンド前に自分のテンポを調整し、確認するのも容易だ。 ビデオに撮ってあった、僕の以前のスイングを計ってみたら65-67ぐらいとかなり遅いスイングだった。それでドライバーの距離は220Yぐらい。試しに70で振ってみたら一気に240Yぐらいに伸びた。それは、そうだろう。距離は、ヘッドスピードの二乗に比例するはずだから。 そうなのだ。これは、この方法の副産物に過ぎないが、飛距離を伸ばしたい人は、1,2,3のテンポを70、75、80と上げていく練習をすればよい。ヘッドスピードが40m/sの人が44m/sにしようとしても計測方法が難しいけど、メトロノームのカチ、カチ、カチのリズムに合わせるなら簡単でしょ? ただ、実際にこの方法でスイングすると、かなり慌ただしい感じがすることに気がつくだろう。僕は、70でも気ぜわしい感じがする。“2”が時間不足で、今までのトップまで行かないうちにダウンスイングに移らなくてはならないのだ。しかし、結果は、そんな浅いトップでも十分に距離が出るから心配することはない。逆に今まで通りの深いトップを作ろうとすると、2が“ニ”でなく“ニー”と間延びし、3との等時間という鉄則が崩れてしまう。だから、慌ただしくてもなんとかマネージできるぐらいのテンポが現実的には適正な限界と考えるべきだ。これは、たぶん筋力が制約条件になっていて、プロとアマチュア、男性と女性の差を生み出しているように思う。85などでは、とても振れるものではないのだ。 話が横道にそれた。ヘッドスピードを速くするのがこの方法の目的ではない。最も大きな効用は、ティーショットからパッティングまで同じテンポでスイングすることにより、振り急ぎによるダフリ、トップその他もろもろのミスを除去することにある。決めたテンポでスイングすれば必ず良い球が出るという自信が、意識をスイングテンポに集中させ、それがまた好結果につながるという循環を作っていく。 たとえば、アプローチ。僕の場合、サンドウェッジの9時3時のスイング幅で70拍/分でスイングすれば40ヤード飛ぶことがわかっている。僕がスイング時にやることは、2で9時まで持って行くことだけを決め、イチ、ニ、サン!と口に出し、このテンポを再現することだけなのだ。 本当にほかのことは、何も考えない。コックがどうだとか、インパクト時にはグリップがハンドファーストを再現していなくてはならないとか、以前、頭の中を占領していたことを一切考えずに済む。言葉を換えると、考える余裕がない。 悩み続けているパッティングもそうだ。パッティングの場合は、フィニッシュの位置を決めておくことが必要だが(これは、ラウンド前の練習で距離によるフィニッシュの位置を把握しておくこと)、構えたら、やはりイチ、ニ、サン!と口に出し、このテンポを再現することに集中する。 これで、Scottsdaleでは28パット、29パットで回ることができた。久々の快挙。 話は変わって、なんとカミサンが中部銀次郎を読み始めたよ!ラウンド中もしょっちゅう中部銀次郎の言葉を引用するほど気に入ったようだ。カミサンは、技術書などは嫌いで一切読まないが、心の持ちようなどに焦点を当てた中部本はしっくり来たようだ。いずれにしてもゴルフ関連の本を読むののは、彼女のゴルフ歴の中で初めてのこと。最近は、練習もよくするようになったし、もろ手を挙げて歓迎したい。Viva Golf!! Scottsdaleでは僕のExperiaを貸してあげ、65拍が良いようだとアドバイスすると、ずーっとそれで練習していた。ラウンド中は、勿論、イチ、ニ、サン!である。 夫婦そろってイチ、ニ、サン!で中部銀次郎だ。うちってよっぽど○○? #
by gomanis
| 2011-05-24 05:56
| ゴルフ
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