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2007年5月22日(火) 僕がJack Daniel'sをこよなく愛する理由(わけ)

2007年5月22日(火) 僕がJack Daniel\'sをこよなく愛する理由(わけ)_a0064654_13231635.jpgミネアポリスに来ている。取引先とのディナーを終え、ホテルに帰ってきた。今回の出張はディナー自体が目的のようなものなので、これで出張目的は達したことになる。さて、ホテルに帰ってきて何をしよう。どこか遊びに行く元気はとうにないし、部屋に帰ってメールをやるのも芸がない。やっぱりここは、取引先とのディナーで遠慮した分、飲もう。ホテルの一階にあるこじんまりしたバーへ行き、1人で渋く(?)カウンターで飲(や)る。頼むのは、迷うことなくJack Daniel’s。ダブル、ロック。

サンディゴの自宅にいるときも、Jack Danielが圧倒的に多い。一時期アジアに駐在していたときはChivas Regalとかスコッチが多かったが、今思うと、あれは仮の姿だった。本来、僕が求めているのはバーボンの味。なぜ、Jack Daniel’sなんだろう?

その昔、まだ22/23歳だった頃、僕は、中国に留学していた。22歳で本科は終え、学位も取って卒業したのだが、日本に帰りたくなかった僕は、別の大学へ横滑りし、ふらふらしていた。昼はテニスに夢中になり、夜は、勉強しない仲間とブリッジに興じながら酒を飲み、馬鹿話にきゃははと笑い転げる享楽的な日々を送っていた。しかし、そうは言っても生活費は稼がなければならない。正直に言うと、親から仕送りは受けていたし、奨学金もあった。でもそれでは、贅沢はできなかった、そして、僕は贅沢が好きだった。

伝があり、日本の、ある建築設計事務所の通訳のバイトをやることになった。その会社は、北京で新しくできるコンプレックスの設計業務に食指を動かしていて、中国側の施主と、契約交渉を行う必要に迫られていた。数ヶ月に一度、北京に来て交渉を行う。その通訳に雇われたのが僕である。4年間、本科でみっちり勉強して、中国人ともプライベートでもさんざんつきあって、言葉はかなり自信があった。中国語のみならず、日本語もたくさん本を読んでいたので、結構“いけてた”と思う。数ヶ月ぶりの交渉再開のとき、中国側が、”nice to see you again(中国語で)”というのを、『ご尊顔をまた拝することができて大変光栄に存じます』などと訳すと、雇い主の日本人は大喜びした。誤訳ではない、発言者の顔色、声色を理解し、その情緒の度合いを正確に伝えようと思っただけである。

こうして、毎回、10日ぐらいにわたって、1日8時間ぐらいの通訳業務をこなした。中国側がつけた通訳は、勉強不足で役に立たず、結局、僕が日中、中日、全て訳をやるのが恒常化した。それは、頭が火を噴きそうになるようなストレスだった。

でも、今から思うと、ビジネス責任を負っていた日本からの出張者のほうがよほどストレスを感じていたのだろう。彼らは、常に2人一組だった。設計の責任者と経理の責任者。
毎日、ネゴの後は、疲れた身体を引きずって、ホテルのバーへ行った。時にはビリヤードをやりながら、時にはバーのテーブルを挟んで、本日のネゴの総括をした。このときである、経理の責任者が、いつも、Jack Daniel’sのOn the rockを頼んでいたのは。学生である僕の分も頼んでくれた。

皆の労を労って乾杯する。8時間、しゃべり続けたところに、Jack Daniel’sが、咽喉を焼きながら落ちていった。枯れ草の匂いが鼻の奥を刺す。Jack Daniel’sが、僕にとって特別な存在になった瞬間だ。労働の終わりを告げるベル、それがJack Daniel’sであった。労働の報いを即物的に感じさせ、大人の社会を垣間見させる媒体、それがJack Daniel’sでもあった。

爾来、労働を終えた喜びを噛みしめたくなるたびに、あの枯れ草のような匂いが鼻を抜けていく快感を追体験したくなった。そして、大きな喜びの日も、ささやかな喜びの日も、この追体験を求めるようになる。でも、皮肉なことに、働くことを重ねるごとに、経験を積むごとに、労働を完了した喜びは薄くなっていく。どんなに、感動を演出しようとして、Jack Daniel’sを飲んでも、昔日の感動は蘇って来ないのである。2007年5月22日(火) 僕がJack Daniel\'sをこよなく愛する理由(わけ)_a0064654_1323423.jpg
by gomanis | 2007-05-23 13:28 | 美食


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